2023年


ーーー11/7−−−  マルタケ雑記20周年


 
「週刊マルタケ雑記」は、2003年の5月にスタートした。今年の5月で、まる20年経ったことになる。かねてより、20周年を達成したら、記念の記事を大々的に書いてやろうと考えていたが、気付かぬうちに半年が過ぎていた。

 毎週必ず書いてきたから、アップした記事の数は20年間でおよそ1040点になる。一つの記事の文字数を、平均1000字と見積もれば、合計で100万字、文庫本10冊くらいのヴォリュームである。

 「週刊マルタケ雑記」は、世の中の一部にマニアックな読者が存在するという話を、これまで何度か耳にした。実態は把握していないが、そういう読者がいるくらいなら、バックナンバーをまとめて何らかの手段で世に出したい、と考えたりする。

 これまでも、出版物にすれば良いと言ってくれた人が何人かいた。しかし、紙の出版物では、扱ってくれる出版社が無いだろうし、自費では金が掛かり過ぎる。そこで、電子書籍ならどうかと思った。

 しかし、現状でも工房のホームページを見れば全ての記事を読めるのだから、意味が無いと気が付いた。しかし、そこで諦めず、さらに考えたところ、選り抜き版を作ることを思い付いた。

 千余点の記事の中には、当然の事ながら、面白くないものもあるし、一般の方には関心が無いようなものもある。それらを省いて、これはという記事だけを選りすぐってまとめれば、楽しい読み物になるのではないか。長年に渡って読んで頂いている方でも、選らび抜かれた記事を目にして、その当時を思い出し、思わずニヤリとすることがあるかも知れない。

 電子書籍の世界も日々変化していて、名も無い素人が小説やマンガを世に出し、それがヒットするというような仕組みも、昨今ではあるらしい。そういうことに詳しい人が知り合いにいるので、折りを見て相談してみよう。




ーーー11/14−−−  野分


 
先週の月曜日は、朝から南風が吹いていたが、午後にはかなりの強さとなり、時折薄日が射す空からパラパラと雨粒が落ちた。

音を立てて風が野山を渡っていた。その様子を目にして、「野分」という詩を思い出した。井上靖の作である。


野分(一)

漂白の果てについに行きついた秋の落莫たるこころが、どうして冬のきびしい静けさに移りゆけるであろう。秋と冬の間の、どうにも出来ぬ谷の底から吹き上げてくる、いわば季節の慟哭とでも名付くべき風があった。

それは日に何回となく、ここ中国山脈の尾根一帯の村々を二つに割り、満目のくま笹をゆるがせ、美作より伯耆へと吹き渡って行った。 風道にひそむ猪の群れ群れが、牙をため地にひれ伏して耐えるのは、石をもそうけ立たせるその風の非常の凄じさではなく、それが遠のいて行った後の、うつろな十一月の陽の白い輝きであった。


何を言いたいのか、さっぱり分からないような詩である。

しかし、重厚な情景描写がなんとも印象的な詩である、と私には感じられ、それで記憶に残っていた。




ーーー11/21−−−  若返ったダイバーウオッチ


 
私が使っているダイバーウオッチについては、2016年12月の記事で触れたことがある。その記事を書いた頃から、つまり7年ほど前から、それまで登山の際に使う程度で、普段はお蔵入りだったその時計を、日常的に使うようになった。少々重いのが難だが、文字盤がシンプルで見易い点が気に入っている。

 自動巻きであるから、デジタル時計のような正確さは無い。毎朝、電波時計を見本にして、秒まで正確に時刻を合わせる。その作業をしていて、最近気付いた事がある。

 このダイバーウオッチ、7年前に普段使いを始めた頃は、日に数分遅れた。冬は5分くらい、夏は比較的少ないが、それでも2分くらいは遅れた。現代のようにデジタル化が進んだ時代では、そのように遅れる時計など、まさに時代遅れで使い物にならないと言われそうだ。しかし、一日に5分の遅れと言っても、朝から夕方までの生活時間帯では、おおむねその半分。そのくらいの時間差は、現在の私の、田舎暮らしのゆるい生活では、何の問題も無い。

 さて、最近気付いた事というのは、その遅れが次第に少なくなり、ついに先日は進みへと転じたのである。これには、まったく驚いた。機械も人間と同じように、年月を経れば次第に性能が落ち、動作が遅くなるのが普通ではあるまいか。それなのに、この時計は、性能が向上している。時計のベストな性能とは、遅れも進みもせず、時間ピッタリということであるが、遅れから進みへ転じると言うのは、衰えから成長へ変化したような、若返りのイメージがある。驚いたと共に、何だか嬉しくなった。

 何故こうなったのかは、分からない。腕時計は、長い期間使わずにおくと、中の油が固まって動作不良に陥るという話を聞いたことがある。確かに長年に渡り、ほぼ使わない状態が続いていた。その間に、人間でいえば血の巡りが悪くなっていたのかも知れない。それを使い始めたことで、少しずつ血流が良くなってきたのか。それにしても、調子が戻るまでに7年間とは、ちょっと長すぎるような気もするが。 




ーーー11/28−−− 蘇ったチャランゴ


 
以前、壊れたチャランゴを預かり、修理して、最終的に貰い受けた話は、2020年3月の記事に書いた。その楽器が、この7月に再び壊れた。修理をした響板が、接着部分で破断し、変わり果てた姿で発見されたのである。

 破断部を接着し直すのは、もはや出来ないこと。修理をするなら、響板を取り換えるしかないが、それは木工家と言えども、楽器に関して門外漢の私には不可能な事である。

 修理は、半ば断念したが、この楽器の音色にいささか惹かれる所があったので、諦め切れずにいた。

 10月に、あるギター製作家が工房公開のイベントをやったので、見に行った。ギター製作の話が聞けて楽しかったのだが、最後にそれとなく「楽器の修理もしますか?」と聞いた。答えはノーであった。他人が作った楽器は、独自の方法で加工を施している場合があり、自分のやり方が通用しないこともある。それを無理に修理しようとすれば、直すどころかさらに壊してしまう恐れがある、という説明であった。最後に、「もちろん、自分が作った楽器なら、修理をしますが」、と言われた。

 なるほど、それはもっともな事だ、と感じた。楽器の修理は、演奏者が満足できる性能を取り戻さなければならない。家具の修理などとは、次元が違うことなのである。このような話を聞けば、修理は諦めようと観念するところであるが、逆に執念の様なものが沸き起こった。

 2008年に木工のグループ展をやったとき、隣で楽器を展示していた、弦楽器製作家の石井氏を思い出した。展示会の空いた時間に、楽器を見せて貰って説明を聞いたのだが、加工技術の高さに驚かされた。専門のギターはもとより、ヴィオラダガンバ、バロックギター、マンドリンなどの古楽器を複製した作品群も展示されており、それらの楽器の精緻な作りには目を見張るものがあった。

 何となく、石井さんなら修理をしてくれそうな気がした。氏の現在の状況を知るため、ネットで調べてみた。なにせ15年も前にお会いしたきりである。氏はネットで発信することはしていないようであったが、氏が制作したギターを扱っている楽器店のブログに行き当った。その記事を見ると、氏は優れたギター製作家であるが、その一方で楽器の修理も行い、難しい修理もなんなくこなすと書いてあった。

 これだ!と思った。早速壊れたチャランゴの写真を添えて、修理が可能かどうか問い合わせた。返事は、「ずいぶん派手に壊れているが、修理は可能だと思われる」とのことだった。日時を決めて、楽器を持参して見て貰うことにした。

 工房へ持参した半壊状態のチャランゴを見て、氏は「簡単な修理では無い」と言われた。それを聞いて、私は一瞬緊張したが、結局 「出来るだけやってみよう」と言うことになって、安堵した。氏が出来るだけの事をやってくれれば全く問題無い、というのは私の直観である。

 修理の話が片付いた後で、しばし雑談をした。その中で私が、「あるギター製作者は、他人が作った楽器を修理するのはリスクがあるから引き受けないと言ってました」と述べたら、氏は「修理に応じない製作者は、むしろ多いように思う」と応えた。「修理と言うのは、同じものは無い。毎回新たにやり方を考えねばならないから、手間も時間もかかる。そんな事に関わるより、いつものペースでどんどん作品を作った方が、自分のスタイルを追求する充足感があり、ビジネス的にも有利である。そう考える人がいても、不思議は無い。中には、自分が作った楽器ですら、場合によっては、修理を断る人もいる」

 「でも、あなたは修理を引き受けるのですね」と聞いたら、「修理をすると、人の役に立っているという実感がある。演奏家は、愛用してきた楽器に対して特別な思いがあり、楽器が壊れれば本当に困る。それを修理してあげれば、感謝される。つまり、役に立っているということだ。この感覚は、自分の思い通りに楽器を製作している時には、感じられないものだ」と言われた。

 後日、修理が終わったとの連絡があったので、受け取りに行った。直った楽器に会うのが、本当に楽しみだった。これほどわくわくして物事に当たるのは、久しぶりな気がしたくらいである。

 チャランゴは、新品の様に美しく蘇っていた。見違えるとは、まさにこのような事を言うのだろう。音の鳴りも、すごく良かった。修理代は、思ったより安かった。「響板を張り替えたけど、小さいですからね」、氏はさらりと言った。

 私が、喜びを押さえきれずに、「この先、このチャランゴを弾くたびに、きっと石井さんのことを思い出すでしょう」と言うと、氏は嬉しそうに微笑んだ。

 

* 下の画像は、 修理前(左)と、修理をして蘇ったチャランゴ